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物語はSF要素に支えられ独自性を打ち出しているが括りはあくまで学園物。学園青春アニメであることを諦め
ない作品の風貌は、『灼眼のシャナ』がSFという比喩を用いて大恋愛物語を劇的且つ象徴的に普遍化していた
のを思い出させる。ジャンルに不可欠な「恋愛」が思いのほか顕在化しない今作だが、視点のベースはキョンの
一人称。ハードボイルド小説の常套的語り口を採用している点は興味深い。厳密には一人称形式にというより、
キョンによる一人称が肝心な部分を回避していくところにこそハードボイルドの本質的資質はある。彼は観客を
欺くように本音を吐かない。キョンの台詞は独白との境界が曖昧で、モノローグと思って聴いていたら、他者が
反応したことで《声に出していたのか》と分かったことが何度かあった。台詞も独白も観客を意識している点で
は大差なく、内的独白だからといって率直な心情の吐露はしないということだ。キョンは朝比奈ミクルに寄せる
好意を観客に示すがハルヒについては無下な態度を固持する。特にシャイでもなく他人に対し穏和で紳士的な態
度の取れるキョンが、ハルヒには必要以上に辛辣な態度を内心で(観客に示す目的で)崩さない。ハードボイル
ド的独白とは主体の内省を観客から覆い隠すための饒舌というレトリックである。実はSOS団のメンバー全員
に心情吐露を行わない傾向があり、殊に恋愛感情の有無は表面化しない。長門ユキは無口キャラという特性によ
り朝比奈ミクルは誰にも親切な博愛的性質によって、涼宮ハルヒは(彼女のキョンに対する好意は当事者を除
き周知の事実だが)プライド高く不器用な性格のために、恋の在るかは既成事実へと発展しない。ここに観客の
期待を裏切り続ける作品の魅力の一端があり、時系列の6話が他の回にない無防備な饒舌さを示すのは、(TV
放映の)最終回だからこそ許されるカタルシスとして、作品が自ら課した暗黙のルールを逸脱する瞬間である。

今作で原作「涼宮ハルヒの憂鬱」のパートは終了。TV放映版の最終回でもあった涼宮ハルヒの憂鬱6(ローマ数字が変換できない)はさすがに気合が入っていて素晴らしいできになっています。
涼宮ハルヒの憂鬱5ではハルヒ自身の独白によりなぜ彼女が「憂鬱」であるのかが垣間見える地味ですが、何気に重要な名シーンがキーポイントになります。そして、ついに明かされるハルヒの偉大な力、「閉鎖空間」。ここからが「涼宮ハルヒの憂鬱」がただの学園ものではない片鱗を見せます。ハルヒは何に不満を感じ、憂鬱になり閉鎖空間を生み、そして何を望んでいたのか。その望みはそんな荘厳で高貴なものではなく、ただ誰もが持ちうる一人の少女としての単純でしかし大切な「気持ち」であった...
この3巻まで観て「面白い」と感じた人は次巻以降も観ることをお勧めしますが、「つまんなかったなあ」と思われた方はちょうど良い区切りなので今作で手を引かれたほうがよろしいかと思われます。
ただし、次巻からは今までよりはより明るくポップな学園ものとしての雰囲気が強く押し出されますし、可愛いヒロイン達のそれぞれのちょっと萌え的な要素も多く出てきます。
特に、長門有希の可愛さが急上昇してくるのはこの先ですから!